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日本の漫画の絵の不思議な力の話 

 前にもブログで書いたことなのですが、ジブリのアニメーションは「空を飛ぶシーンが絶品!」なのか?
  90分の映画でほんの5分ほどの飛行シーンが、なぜあれほど爽快なのか?

 あれは90分の映画で5分の飛行シーンだけに力を入れてるわけじゃなく、残りの85分間、延々と丹念に重力を描いてるからだと。
 ジブリ映画は他のアニメに比べ、どのシーンも物が重そうに描かれてるのがわかると思います。

 例えば映画で、CGで描かれた巨大宇宙戦艦がエンジンをふかし動き出したとする。
 これが吹かしたとたん動き出すと、観客は「ああ、これハリボテだ」と感じるのです。
 なぜなら重いものはすぐには動き出さないということを、日常生活を通じて我々は無意識に知っているからです。
 質量(重さじゃなく)の大きいものは動きにくく、そして止まりづらい。物理の基本ですし、人が常に無意識に感じている法則です。これを描かないと巨大宇宙戦艦は描けないわけです。

 ジブリの映画は常に質量を描いてます。
 ジブリ映画の秘密の1つです。
 見ている観客に「この世界で物は常に落ちる」と思わせるからこそ、飛行シーンが爽快で、高いところが怖いのです。

 さて、漫才コンビにはボケと突っ込みの役割があるのですが、突っ込みはボケの言ったことがどれだけ現実と離れてるかを説明してやる役割も持っています。
 「お前の言ってることは、日常生活の中でこれだけ外れてるよ」てな感じです。

 その差が面白いのだから、突っ込みの人間は普通であることが求められる役割になるわけです。

 漫画も同じで、非日常性の面白さが際立って描き出したいなら、その世界の日常性がどれだけ普通かを描き出してやらなきゃなりません。

 例えばギャグ漫画を描こうとして、できるだけ笑わせようと荒唐無稽なキャラクターを大量に出したとすると、これが意外に面白くなくなる。ヘンなことをする人間達の中でギャグを出しても、ヘンなキャラの中に埋もれてしまうからです。
 ギャグでヘンなことをしたときは、「それがどれだけヘンなことか」を指摘する普通の人が必ず必要になります。

 で、ここからが日本の漫画の絵の持つ特殊な力の話になるのですが、この日常性や普通さを描きだす表現を、世界に類を見ないぐらい得意としていると思います。

 そして、この普通さを表現する力は”絵が精緻に描ける能力”とは別のトコに現れるのです。

 割と簡単な例を挙げます。
 写真をそのままトレースした人物の絵って体重がないでしょ?
 でも、写真を参考にしながら描き手の絵で描くと、なぜか体重が生まれる。

 日常性を強く感じる漫画=絵が精緻な人

 とはなっていませんよね。
 絵に強い個性を持った人の漫画に実は強い日常性を感じ、漫画にリアリティを感じることはかなりあるはずです。
 ヨーロッパの漫画のように芸術性を出してくるのとは違う、日本の絵の日常性の絵の性質。

 下向きの力のかかった日常性のある、そして非日常を表現するのに適した日本の漫画の絵の秘密。

 その正体とは?

 まあそれは、考えるのも楽しいので、自分の考えは書かないことにします。

 あ、余談ですが。
 
  


 昔の落語を聞いていたら、金持ちで男色家の爺さんが若い男を木の樽に入れて上から千両箱をのせる「タクアンプレイ」というのが出てきて爆笑してしまった。もちろんこの千両箱は若い男がご祝儀としてもらえるという話。
 昔の人の考えることはすごい。
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[2010/10/03 12:11] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)



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