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ダビデパンツの話 

 先日あったニュース。
 島根県の公園にダビデ像が置かれ、一部の住人が苦情。
 本筋の話は「公の場所に大きな裸体の像を置くことは戸惑う」という昔からあるパブリックアートへの疑問の投げかけ。
 なのになぜか「下着をはかせろ」という一部の意見がことさら取り上げられ、ネットで話題になりました。

 この話題、簡単には片付けられない問題を含んでいるように思えたので、自分の考えを書きます。

 表現者、もしくは表現の自由を守りたいと考えてる人がこの「ダビデパンツ」を取り上げて笑っていたのですが、本当にそれでいいのでしょうか?

 この場合、表現者側の立場の勝利条件は裸体像に違和感を唱える人を「笑うこと」ではないはず。こういう表現を「認めてもらう」ことになるのでは?

 そして「下着を着けろ」といったのはごく一部、いやひょっとすると一人かもしれない。

 それをことさら「突っ込みどころ満載!」と笑えばどうなるか?他の大勢の「違和感を感じた人」は「そんなこと言ってねーよ」で断絶、おしまいです。表現を認めてもらうどころか信頼さえされません。

 表現者側の負けです。

 おまけにやってることは一部の突っ込みどころのある意見を、あたかも全体の意見のように煽っています。
 マンガの表現規制側がテレビで「成人指定のマンガ」を取り上げ、「マンガ全体がこうなってる!」と煽ったやり方と同じです。
 
 ここでも表現者側の負けです。

 さらに言えば芸術もマンガも芸能も音楽も他者に対するメッセージです。
 他者の常識や世界観を揺らしたり感動を与えることもあれば、不快感を伴うものもあります。
 だからそれをできるだけ上手く伝えるために作品にするのです。
 なるべく分かって貰えるようにするのが「表現者」です。
 
 設置の容認される理由が「芸術だから」の一辺倒で終わったとしたら、それは「表現活動の歴史を含めたものの名前」であって説明ではありません。なぜこのメッセージを置くのか説明できなければ表現者の負けと思います。

 公園にダビデ像を置くことに「意味がある」というメッセージを届ける相手は「違和感を感じた人」。そしてその理由をメッセージにするのは結構難しいし、考える意味のあることだと思います。

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[2013/02/09 13:48] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)



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